今日も元気にカルト映画館~第119回『イディオッツ』

偽善を嘲り笑う




画像

あらすじなどはgooより
本作品は昨年のカンヌ映画祭パルムドールを受賞し大ヒット記録中の『ダンサー・イン・ザ・ダーク』の前に製作されていた作品。『奇跡の海』で“過剰なまでに感情的”な表現手法を確立したトリアー監督が、もはやその作品を形容する際の代名詞になったともいえる得意の全篇手持ちカメラによる撮影(自らも部分的に撮影)で、即興を重視した演出により作り上げた優しくも残酷なファンタジーである。また、ここで試されたデジタル・ビデオによる撮影体験が、『ダンサー・イン・ザ・ダーク』でのミュージカル・シーンへと繋がることとなる。ローファイパンク映画集団“ドグマ95”認定つきの、脅迫的なまでにイノセントな映像は視神経から脳髄へと直結し、観るもの心を力ずくで終始一貫ゆさぶり続ける。ピアニカで奏でられるサン・サーンスの“白鳥”のメロディーにのせてスタートする本作品は、『ダンサー・イン・ザ・ダーク』で描かれた“イノセンス”の原点と言える。


<解説 - イディオッツ>
知的障害者を演じることで社会を挑発するグループを描いた問題作。監督・脚本・撮影は「ダンサー・イン・ザ・ダーク」のラース・フォン・トリアー。これは彼が運営するプロジェクトドグマ95の第2作。音楽はキム・クリステンセン。編集はモリー・ステーンスゴー。出演はボディル・ヨアンセン、イェンス・アルビヌス、アンヌ・ルイーセ・ハシング、トレルス・リュビュー、ニコライ・リー・コースほか。


<あらすじ - イディオッツ>
人々の偽善を、自ら知的障害者のふりをするというやり方で暴こうとするストファー(イェンス・アルビヌス)を中心としたグループ、イディオッツ。カレン(ボディル・ヨアンセン)は立ち寄ったレストランで、口からよだれを垂らし突然泣き叫ぶ彼らに偶然出会う。それが演技だと分かり最初は怒りをあらわにするカレンだったが、次第に彼らに惹かれ、ストファーの叔父の持ち物である一軒家で共同生活を送るグループと行動を共にするようになっていった。そして、やがてカレンも、知的障害者の演技を始めるようになる。そんなある時、福祉事務所の対応に腹を立てたストファーが錯乱する。メンバーは必死に彼をなだめ、次の日、ストファーの誕生日を祝うためにパーティーを開いた。羽目を外し、乱交セックスを始めるメンバーたち。その中で一番若いジェッペ(ニコライ・リー・コース)とジョセフィーン(ルイーズ・ミエリッツ)は互いに愛し合っていることを確かめるが、翌朝、ジョセフィーンの父親が彼女を自宅へ引き戻しにくるのだった。ストファーは、グループの結束を形にして示そうと、自分が最も愛する人の前で知的障害者になるという、究極のテストを行なうことを提案した。そのテストからは次々と脱落者が出て、ついにカレンの番になった。彼女は立会人のスザンヌ(アンヌ・ルイーセ・ハシング)と共に自宅に戻り、愛する家族の前で知的障害者の演技を始めるのだった。



知的障害者を演じる集団の映画であります。
人々の偽善を知障のふりをすることでその反応を見て暴こうとする・・・とあらすじには書いてありますけれど、その信念はとってつけたようなものであると思うんです。基本的には彼らは愉快犯みたいなもんだと思うんですよ。
でも愉快になってやってることにはしっかりとメッセージが付属してついてきている。
悪ふざけがそれだけで留まってないところがこの映画の面白さでもあるんじゃないだろうかって思いますね。

もちろん、フィクション映画ではあるのですが撮影が全て手持ちカメラということである種のドキュメンタリー映画を思わせてくれる作りにはなっています。
そうすることでこのふざけた集団に自分も加わっているのではないかという錯覚すら覚えてくるのです。
「これはマズイんじゃねえの」「やめとけよ・・・」と常識を持ち合わせた人であれば、きっと画面越しにそうツッコミいれるんじゃないだろうかって思いますよ。

カレンというおしとやかな女性は立ちよったレストランで同じ客として来ていたわめき散らす知障集団に出会います。そいつらは急に喚き出したりし、どさくさに紛れてレストランから金はいいから帰ってくれと言われ、”準”喰い逃げを成功させてりまうんですね。

その障害者演技者に手を掴まれた流れでその集団に近づくことになったカレン。最初こそ激怒していたもののいつしかその集団に惹かれていつしか行動を共にするようになり、彼女は最初は引率者を演じ、そして自ら知障を演じることにチャレンジするようになっていくという。

この集団は本当に世間を挑発することが大好き。工場見学に行っては突然泣き出したりし、困らせ最後には車で屋外に置かれた出荷前の製品(ロール状)に車で体当たりしたり。役所からは助成金を騙し取ろうとしたり。障害者を演じてクリスマスの飾りものを売りにいき健常者の反応をみて後で憤ったり。屈強なゴロツキが集うバーに突入していき、仲間が「殺される」と心配しながらもなんとか無事に戻ってきたり。
集団に屋敷を提供しているリーダー格のストファーに役所がここから出ていけば助成金を出すとまで言わさせたり。

ここまでは愉快犯で片付けられることなのかもしれませんが、その役所の人が来た当たりでちょっと流れが変わってきます。
その役人が屋敷を訪れて、追い出そうとすることに抗議するために走り去る車を何故か全裸になって「ファシスト」呼ばわりし罵倒し走って追いかける。
この楽しい集団が壊れるところをどこか脳裏によぎるとストファーも焦りが出てきたのかもしれませんね。
その翌日には彼を慰めようと全裸乱交パーティーなどを開催するも、次第に集団の家族から強引に引き離されるメンバーなども出てくるとある決断、提案をすることになるという流れになっていきます。

ハッキリ言って、彼らは悪ふざけを行いながらも誰の目からみても明らかな社会性のあるメッセージも携えてるわけで。

もともとどうしてそういう知的障害者を演じているのかと言えば、冒頭に書いたような大義名分みたいなものはあるのかもしれない・・・が、根本的にはこういうことで快感、癒しを得るためにやってるんだと思うんですよ。

それでも、そんな悪ふざけの中にも我々も色々と思わねばならぬところはある。
たぶん、哀れむ気持ちは誰にでもある。そして、厄介だなと邪険に思うこともある。
申し訳ないが私も実際だとそんな気持ちなのかもしれない。
電車などで涎を垂らして、独り言をいい徘徊している知障の方を見かけることはあるがやはり関わりたくないと思ってしまうところはあります。
頭ごなしに「うるせえ」「ぶったたくぞ」と言えないモラルは多くの人は持ち合わせているんです。
だから、この映画でもゴロツキの多いバーに1人でメンバーが突入していった時にもビールをおごってあげて、もじもじしている知障を見ると「おしっこがしたいんだろ」ってトイレまで付き添ってあげる優しさもある。
まあ、優しさというよりも哀れみかもしれないけどね。

だからこの映画でも監督の主張みたいなものは最後まで提示しないまま作品は終わる。
結局、そのあたりのモラルについての考えってもんは各々に任せますというところなのだろうか。


難しいですねぇ。
綺麗事では色々言うことも、考えたふりをすることもできますけれど。
やはり「表」にしてもいい部分と「裏(内面)」で留めておくべき部分と使い分けていかねばならないのでしょうかね。
人の気持ちってのは他人が簡単に方向性向かせることが出来ないものだけにね・・・。




・芸術ぽい度:★☆☆☆☆
・理解不能度:★★★☆☆
・キ●ガイ度: ★★★★★  
・グロゴア度: ☆☆☆☆☆
・下品汚物度:★★★☆☆  
・おバカ様度: ★★★★☆ 
・御エロ様度: ★★★☆☆



【本作品、関連作品】





出会えてよかった―絶対の差別の解消をめざして出会えてよかった―絶対の差別の解消をめざして
師 康晴

言叢社 2006-11
売り上げランキング : 397244

Amazonで詳しく見る
by G-Tools

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 1

ナイス

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック